人生を自分でハードモードにしてしまう悪い癖があります。
その名も「できないくせに完璧主義」という思考の癖です。
この「完璧主義」に陥ってしまうと、自分で自分を追いつめてしまうハードモードに突入します。
そして自分で完璧主義なだけだったらいいのですが、基本的に自分の持っているものは、他者と関わったときに発揮されてしまうことがあります。
本人は、性格だと思うかもしれませんが、れっきとした「思考の癖」(認知の歪み)なのです。
ですから、完璧主義をやめることは、メンタル疾患を防ぐことにもなるんですね。
うつ病や、メンタル疾患の人には「完璧主義」が多いのです。
この記事では、完璧主義のデメリットと、直し方について解説していきます。
完璧主義の人の中では何が起きているのか。【直し方】
完璧主義の人の中では、何が起きているのでしょうか。
完璧主義の人は、それをいいことだと思っていることがあります。
つまり「完璧主義はむしろいいこと(メリットあり)」と思っています。
しかし、実際のところ完璧主義には、以下のデメリットがあるんです。
- 不可能なことをしようとしてるのでストレスがたまる
- 少しの成長や達成感が感じられにくい
- できないところが目につく(自己否定しやすい)
- 人間関係で嫌われやすい
- 手抜きができない(エネルギーの無駄遣い)
- 必要・不必要の見極めができない
こんな感じで、デメリットが多いです。
というか、完璧というのは「あり得ない」ので、幻想をずっと追い求めていることになります。
これが、完璧主義の最大のデメリットで「不可能なことを自分はできる」と思っているのが自分を追い詰めることになります。
ポイント
まずは「完璧は不可能だ」という前提に立って、完璧な自分なんていない、と受け入れるのが完璧主義を治すスタートです。
実際に、完璧主義の人の中はどうなってるのか?特徴を詳しく解説していきます。
①白黒思考になっている
完璧主義の人は、白黒思考になっています。
白黒思考というのは、ゼロか100か?全か無か?思考とも言われます。
これは「テストで95点とっても、そのマイナス5点に目が向いてしまって、こんな自分はだめだ」と思ってしまうような思考の癖です。
これは、うつ病になりやすい思考パターンなので、なるべく直しましょう。
白黒思考の人は、同時に「曖昧さが嫌い」(白黒はっきりつけたい)という性格傾向もあります。
この「曖昧さ」に耐える力をつけることが、白黒思考の緩和のコツです。
白黒思考を弱めるには、「中間を書き出してみる」のがおススメです。
例えば、ちょっとのミスで「最悪の体験をした」というように、振れ幅が大きくなってしまいます。
そこで、数字のスケールなどを用いてみましょう。
やり方は色々ありますが、上の画像みたいな感じで「いやなできごと」を数値化してみましょう。
「ちょっとのミスで最悪だ」と思ったら、過去いちヤバイできごとと比較して、どれくらいのレベルか?をしっかりと認識できるようにしていくのです。
完璧主義では、白黒思考のために「100点以外(完璧)以外のことはすべて最悪・失敗」などにカウントするために、レベル感がわかりにくくなっています。
まずは、しっかりと中間層にわりふっていく練習をすることで、判別がついてくるはずです。
スケールは、縦軸でも横軸でも、いいですし、ゲージにしてもいいし、〇を付けるタイプでも構いません。
自分の好きなやり方で、やってみてください。
②理想の自分>>>>>>現実の自分
完璧主義の人は、理想の自分へのこだわりが強い傾向にあります。
誰でも、理想の自分を持つというのは、とても大事なことですね。
これがあるから、成長したり挑戦できるということも起きてくるからです。
ですから、理想の自分を持っている、これ自体が悪いことということではありません。
しかし、理想の自分へのこだわりが強すぎて、現実の自分とのギャップが大きくなってしまうことが、辛さの原因となってしまうことがあるのです。
こうなってしまいますと「うまくやれる自信がないとき」は、放り出してしまいがちになるというデメリットがあります。
これは、「できなかったときの自分」(現実の自分)を受け入れられないために起きてきます。
ですから、理想の自分を保っていれば、傷つかずに済むわけです。
しかし、それでは現実の自分は何ひとつ成長することができません。
ですから、1つ1つできたことを認識していく必要があります。
もし、「少しのミスをカウントして自己否定」に陥ってしまいそうになった場合は、以下の方法で反証します。
こんな感じで、できた体験を思い出して「カウント」しましょう。
それを続けていくと、「できなかったこと」へのカウントが減って、バランスのとれた見方ができるようになっていきます。
③べき思考の罠。
完璧主義の人は、べき思考がある場合もあります。
べき思考とは「こうでなけれならない」「こうあるべき」という思考の癖のことです。
私まいぴも、仕事モードになると「こうあるべき」が強く出てしまいやすいです。
私には子供がいるのですが、「母親」という役割を意識しすぎても、なります。
ですから、なるべく役割を意識しないで、素の自分でやっていくようにしています。
あくまでも私の場合は、です。
私は素の自分と、「役割としての自分」はかなりズレがあるので、どんどん苦しくなっていきます。
だから、素の自分が先にいて、ちょっと役割があるよ~くらいの感覚でいないと張り切りすぎてしまうのです。
どうしても、一般論として「母親のイメージ」「仕事のマナーや良識」などがこの世の中に形づくられています。
それを採用するか?はあなた次第ですが、私は「自分か、それ以外か?(社会的役割としての自分)」になっていますので。
オンオフでスイッチがある感じです。
多分、皆さんはこんな感じではなくて「自分という中に包括して色々な面がある」感じですよね?
私は、モードが完全に切り替わる感じです。
仕事モードのときは仕事モード。
恋愛モードのときは恋愛モード。
友達雑談モードの時は、友達雑談モード。
こんな感じです。
男性の思考に多いかもしれませんね。
仕事モードのときに、恋愛モードの自分にはさっと切り替えられません。
逆もそうで、恋愛モードのときに、仕事モードにはなれません。
【参考】【未来を信じよう】モテる女は切り替えが早い?特徴は?【サバサバ系】ではないので注意!!
私は女性ですけど、女性のように「恋愛も仕事もプライベートも同列でコロコロ並行できる」ということはないです。
仕事に打ち込んでいる期間は、恋愛している気分ではないです。
自分の話をしてしまいました。
「べき思考」が、どんな時にでてくるのか?を知っていれば、あなた自身の思考のコントロールに役立つことでしょう。
そもそも【完璧な状態は不可能】である。
前述したように、完璧な状態なんて、この世の中にありません。
できないことがあってもいいんです。
そして、状況や人によって「完璧」と思う基準が変わることも知っておきましょう。
絶対的な美人がいないように、完璧という言葉は、絶対的なものではないので意味がありません。
言葉としては絶対的なものですが。
ガッキーも本田翼さんも、橋本環奈さんも、それぞれ綺麗で美しいです。
でも、ガッキー推しの人の中では「ガッキーが一番」ですので、橋本環奈さんを完璧とは思わないかもしれないのです。
つまり完璧な状態というのは、あり得ないのです。
自然の法則からもずれています。
完璧主義の人は「人の価値感は様々なので、完璧というのは不可能だ」という前提に立っていません。
人と人の違いや多様性への認識力が弱い傾向にあるといってもいいのです。
完璧主義者は「マイルール=世の中のルール」
完璧主義になると、自分のルールと世の中のルールを混同しやすくなってしまいます。
世の中の一般論と、自分のルールは別でいいのです。
しかし、完璧主義だと世の中も自分のルールに沿って動いてほしいし、その通りの世界になるべきだと思い込んでしまいます。
自分の見ている世界と、世の中ってこういうものが区別できないので、混ざっています。
- 自分のルールや価値観など
- 世の中のルール(一般論など)
上記のように「自分の見てる世界」と「世の中ってこういうもの」の2種類を、同一に見ている感じです。
ある人にとっての「普通」は、ある人にとっては「異常」になったりします。
ですから、完璧な状態というのは、そもそも論として存在しないということになります。
私は、完璧主義っていうのは、学校教育の弊害だと思っています。
特にわかりやすいのが、テストの存在です。
100点だったら、文句のつけようがない完璧というのは、わりと目に見えてわかりやすい指標となるからです。
しかし、人間や世の中の出来事や物事というのは、こんなにシンプルではないです。
複雑なので、完璧な状態がそもそもありません。
曖昧なことや、不確実性の方が高くて、いったい何が正解なのかすら、わからない混沌としているのが世の中なのです。
そのわからなさを楽しめたり、自分をよすが(拠り所)にできない人、つまり不安や自分がない人。
そういう人は、明確な指針となるものにすがりたくなる気持ちが出てくることがあります。
法律やルールなどに固執するのは、その表れの1つだと思うんですね。
ポイント
つまり「何を拠り所にしたらいいのか不安が多い」人ほど、完璧主義になってしまうということがあるのです。
世間や一般論に左右されない【自分独自の基準】を持とう。
完璧主義だと、世間のルールと自分のルールが混ざりやすくなると言いました。
この対処法としては、「自分の独自基準」を持つことです。
「あれ?マイルールが強いのに自分の独自の基準を持つの?矛盾してない?」と思うかもしれませんね。
実は、完璧主義というのは、自分軸ではありません。
マイルールのこだわりが強いので、自分を強くもっていそうに見えますが、逆です。
自分を強く持っていないので、世間の基準や「こうあるべき」にしがみついてしまっているのです。
本当に自分の基準を持っていたら、「髪の毛がボサボサな私」でも可愛いんです。
完璧主義の人は、「あー髪の毛が今日は決まらないわ」ってなって落ち込んでしまいます。
でも、本当に自分を持っていたら「髪の毛がボサボサな自分でもOk」を出せるわけです。
それが、自分の独自の基準ということです。
ママ友に「どうしたの?おっさんみたいに髪の毛が爆発してるよ?」と言われても、「私、髪の毛がいまはぼっさぼさだけど、可愛いし」って思っていればいいのですね。
可愛いしまでは思わなくてもいいんですけど、イメージ的にはそんな感じです。
まとめ
完璧主義に陥っていると、物事が進みにくくなってしまいます。
基本的には、人生は淡々と実験のようにやっていくといいと思います。
行動については淡々とやっていて、感情ははっきりと示していいと思います。
その場でわかりやすい感情をあらわした方がいいと私は思うんですが、なぜか日本って感情表現が少なすぎますよね。
私は「わあ!!それ面白ーい!!」とか、「それ、私きらーい、こっちがいい!!」とか言いたいのですが、あまりいうと同性から「ぶりっこかよ」と言われるので、やめました。
感情表現が大きいと、ぶりっこなのですか?
でも、女性の私がいうのもなんですが、女性社会の態度がわかりにくすぎます。
「それ、苦手なんだよね」とか、ストレートに言えばいいと思います、
察してもらおうとしたり、変な感じで見てきたり(笑)
愚痴になっていってしまうので、やめます。
人間関係はむずかしいです。
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