先日、当サイトに、このようなコメントをいただきました。
こんばんは。
はじめてこちらの記事を読ませていただきました。「ない世界」が理解できません…(T_T)まだまだ考え方が偏っているのでしょうか…(コメントより)
元の記事は【世の中】人生は不公平であるとわかってる人は幸せになれる【不平等】【長文注意】です。
ない世界って、言われても、確かに「なんのこと?」って思ってしまいますよね。
具体物として、私たちは見えている世界を認識していますから、「ない世界」ってなんだろう?と思って当然です。
ということで、この記事では「ない世界」の説明と、不公平の関係について解説していきます。
人は「3種類の世界」を持っている
(図はまいぴが作成:転載禁止)
まず、人は3つの世界を持っていると言われています。
- 自分で自分を「どんな風に思っているか?」
(自分とはこういうもの) - 他人を「どんな風に思っているか?」
(他人とはこういうもの) - 世の中を「どんな風に思っているか?」
(世の中ってこんなもの)
これは、わりと無意識に近い部分でして、自分ではわりと気づきにくかったりします。
きほん
起きたできごとは同じでも、受け取る感じ方は変わってきます。
例えば「自分の世界=私ってこういうもの」が「私って愛されない」と持っている女性がいるとします。
例:自分で自分を見る世界で「私は愛されない人間」のように見ているとします。
自分で自分を見る世界観は、「心のフィルター」とも呼ばれることがあります。
この「自分は愛されないフィルタ」を通して、「LINEの既読無視」という出来事を見ると、「愛されない自分」という現実の認知を引き起こすのです。
しかし、このフィルタが「自分は愛される人間だ」の人は、LINEの既読無視によって、自分が愛されていないという認知にはなりません。
ポイント
これらは「認知の偏り」につながる原因となっています
人によって、同じできごとが起きても、受け取るものは違うこと。
そして、それは「自分の心のフィルター」によってつくられていることをしっかりと覚えておきましょう。
この「世界観のフィルター」は、「自分にも適用される」し、「他人にも適用される」し、「世の中にも適用される」ということも重要なので、覚えておいてください。
【世の中への見方】で「偏り」が起きると?
認知には、「自分・他人・世の中」の3種類があります。
この3種類のうち、不公平感と関わってくるのは「自分」「世の中」の見方の偏りです。
そして、それによって結果的に「自分はない(のに他人はある)」「他人はある(のに自分はない)」という卵が先か鶏が先か?の認知へと進みます。
まず、「世の中への見方」の中で、不公平を感じてしまう可能性が大きい要因となっているのが「公正世界仮説」です。
これは、「世界への見方」の種類の1つの仮説です。
「公正世界」であるこの世界においては、全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられる、と考える。言い換えると、公正世界仮説を信じる者は、起こった出来事が、公正・不公正のバランスを復元しようとする大宇宙の力が働いた「結果」であると考え、またこれから起こることもそうであることを期待する傾向がある。この信念は一般的に大宇宙の正義、運命、摂理、因果、均衡、秩序、などが存在するという考えを暗に含む。あるいは「努力すれば(自分は)報われる」「信じる者(自分)は救われる」など未来を自らコントロールできると考え、未来に対してポジティブなイメージを持つ
(引用:Wikipediaより)
簡単にいうと「できごと」の結果には、世の中に宇宙のなんらかの力が働いていると思っている。
そして、「悪は罰され正義が勝つ」「努力は報われる」などのように「いいことをしているひとにはいい結果が起きる」のような「ある種の法則(Wikipediaでは宇宙の力)と信じている。
っていうことです。
ポイント
- 自分はない(他人はある)
- 比較している
- 世界観の偏り👈(今はここの説明)
公正世界仮説は、「自分の中で世の中の均衡」や「精神衛生」を保つためにバランスを取ろうとするバイアス(フィルター)のような働きもしているんですね。
適応的でしょうか?というのは、「じっさいの現実に即して適応されやすい世界への見方になってるのでしょうか?」ということです。
現実の世の中にはどんなことがあるのでしょうか?
- 努力しても報われないことがある
- 不妊治療している人に子どもが授からないのに
虐待してる人はポンポン産まれてる - 人に優しくしてたら利用された
- 人を騙している人が幸せに生きてる
- 努力しても東大経済学部に落ちたのに
政治家の偏差値40の息子がコネで官僚になってる
このように、世の中というのは、理不尽なことがじゃんじゃん起きているのが事実なのです。
ポイント
このような現実に直面したときに、「不公平だ」と思うか?思わないか?が決まるのは
「公正世界仮説のように世界を見ているか?」がまず1つあるのです。
このような「世界への見方」を持ってると、どうなるでしょうか?
世界観というのは、下の図のようにとても大きい影響をもっています。
これは、「世界へのフィルタ」が「世の中は怖くて危険だ」という偏りの場合の図です
無意識につくられているので、本人としては、なぜかわからないけれと「社会不安障害」になってしまったり、世の中が怖いということしかなんとなくわかりづらかったりします。
もちろん、認知行動療法で内面に向き合えば、何が偏っているのか?はわかるようになってきます。
この「世界のフィルタ」に「公正世界仮説」をあてはめてみましょう。
いちばん、不公平感がわかりやすいであろう容姿でやってみました。
世の中には、何もしなくても髪の毛がサラサラでストレートだったり、美人がいくらでもいます。
何も努力しないで、モテるなんて不公平だと感じやすい要素の1つですね。
このときに、図の中で起きているのは「自分の信じているであろう世界」と「現実の世界」とのギャップになります。
ポイント
つまり「不公平」を感じているときは、こうであってほしい・こうなりたいという理想と現実にギャップが生まれているということになるのです。
- 現実を理想どおりにする
- 世界の見方(フィルタ)を変える
ない世界とは、「理想どおりではない世界」(幻想の世界=現実)ということになります。
「自分にもあるはず(=公正な世界)」「自分にも与えられて然りなはず(=公正な世界)」のものが「自分の世界にはない」という現実世界です。
とても説明が難しいのですが、あなたの認識よってどちらも相互に影響されてる認知ですので、どっちもです。
自分が「理想とする世界の見方」が強くなっているとき、現実は現実なのですが、それは「幻想」のように思えてしまうのです。
なぜならば、現実を頭の中のフィルターを通して「幻想」レベルの認識ではなくて
「現実認識としての現実」として捉えたとき、はじめてフラットな認識に近くなるからです。
注意ポイント
フラットな認識(客観的)になるだけで、事実の正確な認識は難しいです
という憤りを感じるのもそのためです。
最後の方、説明がむずかしくなってしまいました。
どうしても、「感覚」の話になってくるので、「これ」と特定することはむずかしいです。
注意
あくまでも、このサイトは私の「感覚で得られた経験」ベースの持論(プラス知識)レベルなので、そのへんはご了承ください。
ある程度の「不公平感」は人の本能である。
ここまで「不公平感」を適当に説明しました。
ある程度の「不公平を許せない」と感じるのは、偏っている場合もあります。
しかし、人には本能的に「不公平を嫌悪する」という性質があります。
なぜ、本能的に不公平を嫌悪するのか?はわかりません。
知識ゼロで、感覚的に私が答えるとするならば、「母親からの愛情・父親からの愛情」に近いのでは?と思いますね。
いま、ぱっと浮かんだ映像ですが、「兄弟で差別されたら?」どうでしょうか?
1人だけ、食べ物も与えられず、愛情も、お金もかけてもらえなかったら?
親からの愛情が、誰かに偏ってしまって自分が愛されないとき、子ども心としては生きていけないような感覚になるのは感覚的にわかります。
そのような「親からの愛情がなくなる怖れ」などが、不公平感への怖れとして、本能的に「生き残り戦術」として、私たちの脳にインプットされているような感覚はします。
直感ですので、ちょっと勉強したらまた追記するかもしれません。
まとめ
格差社会が広がっている日本では、不公平だったり理不尽なことに過敏になっている世の中だと思います。
不公平感を克服するのって、どうなんでしょうね。
わかりませんが、「自分は1人で生きれる」というある種の自信のようなものに、裏付けされる気がしますね。
自分軸になれば、自分の世界に他人が入ってこないです。
そうなってくると比較が起きないので「不公平」などの感情も薄れてきます。
つまり「不公平だ!!」というのは「生きていくために重要だと認識しているその権利を私にもください!!」という叫びなのですね、はい。
自分で「美がなくてもこの世を生きるのに何の関係もない(笑)」って思っている人は、不公平感を感じにくいです。
あくまでも「私にもその権利があるはず」という重要度によっても、「不公平感」の強度が変わってきます。
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