こんにちは、まいぴです。
この言葉はかの有名な「千と千尋の神隠し」の湯婆婆の放った言葉、「贅沢な名だね」からきています。
パロディで使われることの多い「贅沢な名前だね」ですが、今日はこの言葉から日本人に沁みついた「マインドブロック」を解説していきますね。
贅沢という言葉を正しく理解していないと、人生で富裕層になることができないのです。
この記事を読めば「贅沢」という言葉の概念が変わります。
そして、あなたは成功してお金を稼ぐことができる豊かな生活を送る土台ができるようになります。
それだけ「贅沢」という言葉で潜在意識の持つイメージを反映しているのです。
それではいってみましょう。
なぜ湯婆婆は千尋に「贅沢な名前(名)だね」といったのか?
一応、私の持論を述べる前に「湯婆婆」がなぜ、贅沢な名だといったのか?
客観的に調べてみました。
- 千尋というのが神と繋がる名前だから、現代とつながれないように断絶するために奪った
- 千尋というが豊かさを表す言葉だから
ネットにはこのようなことがかかれていました。
このことから推察すると、湯婆婆は千尋にむかってこういうメッセージを言ったと思われます。
ポイント
「お前ごときに、豊かさは似合わないよ。相応しくないよ」=贅沢だ
この設定は、まぎれもなく貧乏マインドの世界の言葉です。
「贅沢は敵だ」という言葉に見られる「貧乏こそ正義・貧乏こそ善」というマインドコントロール
実は、贅沢という言葉に「どのような感情をのっけるか?」であなたが富裕層になって豊かな人生を送れるかどうか?が決まるのです。
あなたは「贅沢は敵だ」という言葉をきいたことがありますか?
これは太平洋戦時下における日本で、大衆の心をコントロールするために使われたスローガンです。
貧乏こそ「偉いのだ、貧乏こそ清い、貧乏こそ正義だ」
少ないモノで質素に暮らさなければならない現実があったので、ある意味しょうがないのです。
しかし、これは戦争中の食糧や物資が不足している現実に心を合わせるというのことに必要だったのでこれでいいのです。
でも、心の中にこのような「贅沢はよくない」というイメージがあると、反対に現実がその通りに反映されてきます。
贅沢という言葉にあなたは何を感じますか?
贅沢というのは、「たくさんある。豊かである」というイメージを持つ人もいるかもしれません。
しかし、本来の「贅沢さ」とは「たくさんある」という意味は持ちません。
贅沢の設定を間違ってしまっている人は、下記の図でいうと上になっています。
ポイント
- 贅沢=たくさんある(モノが多い)
- 贅沢=余白がある、余裕がある(モノは少ない)
本来の贅沢さの感情とは「ちょっとだからいい」という意味(モノ足りなさ)が含まれるのです。
私たちは、毎日、昔の王族と同じくらいの生活水準を手に入れています。
アイスクリーム(甘い快感)にエアコンの効いた快適な部屋(居心地の良さ)。
ボタンひとつでお米は炊けるし(便利)、参勤交代もしなくてもいいのです。
肉が食卓にあがるのは日常茶飯事です。
でも、戦時中にあれだけ貴重品だったお米を毎日食べているのに、なぜ「贅沢だな~」って思わないのでしょうか?
毎日、好きなだけいつでも食べられるので、お米は今や「贅沢品」ではなくなってしまったからなのです。
たくさんある状態というのは、贅沢さを感じないのです。
贅沢であると感じるのは、「ちょっとだけ」「物足りない」と感じるときなのです。
贅沢とは余白(余裕)の多さで決まる
足りないって欠乏マインド(貧乏マインド)ではないの?
それは違うのです。
貧乏マインドの人は、「現実にないものを足りない」といっているのです。
見えないもの(存在しないもの)を足りないといっているのです。
実際に味わっているものを、「ちょっと物足りないな」と感じるとき、贅沢になるのです。
ポイント
そのとき、見えないものには「大きい器がある」のです。
高級レストランにいくと、お皿の余白がたくさんとってあって「食べ物(見える)」は少しだけです。
これが、反対にお皿に入るぶんだけ「食べ物がいっぱい盛られてる」のは反対贅沢ではないのです。
本来、もっと置ける(入る)余裕があるのに、少しだけ。
だから、贅沢なのです。
そして、この「余裕(余白)」があるというのは「贅沢さの器」になるんですね。
もっと入ってくることができる「余白が残されている」ということ。
これ、こっちが贅沢ってことです!!
これを広げると、お金も入ってくるようになるんですね。
25畳の広い空間に「質のいいソファだけがある」。
これは贅沢な空間です。
反対に広いからといって、たくさんの見えるモノであふれかえっている。
これは贅沢でも豊かでもないのです。
なぜならば「その空間はパンパンで新しいものが入る余地=余裕」がないからです。
ポイント
贅沢さとは「余裕」(=余白)のことである
実際に味わっているものが「物足りないな」(もっと本当は余裕があるんだよ?)のときに、贅沢さ(豊かさ)は感じます。
憧れの男性や女性とデートしたあなた。
その人と会えるのは数か月に1度、2時間である。
これは「物足りなさ」を感じますから、ちょっと贅沢な時間になります。
贅沢さを感じたかったらですね。
ポイント
いつも「物足りないと感じているものにたっぷりと時間をかけること」ですよ。
時間が足りないとき、あなたは時間貧乏になっています。
そのおかげで、「ゆっくりとお風呂にもつかれない(味わえない)」。
そういうときは、意識して休みの日にたっぷりとお風呂に時間を使いましょう。
これが余裕となって「贅沢な時間」となります。
贅沢さとは、対象が「たくさんある」のではなく、「対象を広げる余裕がたくさんある」ということですよ。
あなたは、何について「贅沢にできる」のでしょうか?
まとめ
贅沢というのは、「多すぎる」という意味にも聞き取れますね。
では、何に対して「多すぎる」のでしょうか?
多すぎるというのは「その対象物が少ないとき」に発する言葉です。
年収5000万円のひとからしたら、2000万円は贅沢ではないのです。
でも、300万だったら贅沢に見えるのです。
でも、「そんなの贅沢だよ」と否定の意味で使う場合、「その人はそんな価値がない」と言っているのと同じなのです。
ですから、少ないものを味わうときこそチャンスです。
「あ~贅沢♡」っていえばいいのです。