自分の代わりはいくらでもいるという言葉があります。
これについて持論を述べていきます。
まず、結論からいうと半分正しくて半分間違っています。
まず「自分の代わり」という定義です。
これが仕事だった場合、「他にあなたの代わりが務まる人がいるのか?」という点になります。
ということは、「自分の代わり=ほかにあなたの代わりに務まる人」ということになります。
時と場合によるのですが、この言葉を新人くんが、言ったとしたら、ちょっとお門違いになってしまいますね。
よくうつ病の人は、休職届を出すように医師がいうと「いえ、私がいないと会社が困るんです!!」「私がいないと仕事が回らないんです」といいます。
この場合は、自己評価と世間の概念を正しく認識できていないということになります。
よくよく考えてみてほしいのです。
自分がいなくても、世界は回るし、会社も回ります。
ポイント
ですから、この場合は「自分がいないと困る=過大評価」になります。
しかし本人は、認識力が低いとは思っておらず、シンプルに「会社に迷惑をかけたくない」という優しさや真面目さだったりします。
これを、社長がいった場合はどうなるでしょう。
「自分の代わりはいない」
これは、確かにそうかもしれないのです。
むしろ、持っていなければならないくらい心意気だと思いますね。
それくらいの気概は持ってないと務まらないからです。
しかし、これが驕りになってはいけないのです。
例えば、私はブロガーです。
でも、唯一無二の価値を提供できているか?というと
しているつもりです。
行動レベルにおいては、自分のしている世の中への「価値提供」は自分しか書けないと思っています。
自分はできる限りベストの記事を書いています。
書けないこともありますが。
そりゃそうですよね、だって自分が書いてる記事なんですからね。
でも、同じようなことをしている人はたくさんいらっしゃる。
だから、自分の狙ったキーワードで検索した人が、自分だけの記事を読んでくれるのはあり得ないと思っています。
つまり、競合がたくさんいて、いつでも気を抜けば、1位から転落です。
ブログは「検索1位」をとらなければ、ほとんど読まれない世界です。
ですから競合が、誰も書いてないような(Google検索エンジンにないような)新しい独自の視点から記事を書いてきたら、負けることはざらにあります。
あとは、他のライターが書いている記事はすべて網羅しているというのが基本です。
つまり、自分ができたこと・思いついたこと・書いてることは、競合もすでにやっているに決まってると考えていかねばなりません。
これは「自分の代わりはいくらでもいる」と思ってないとできない発想なのです。
商品が店頭に並んでいるからといって、「自分の商品だけ売れる」わけじゃないということ。
ポイント
ですから、私は「自分の代わりはいない」と思っている人は、仕事で負ける・成功しにくい気はします。
自分の代わりがゴロゴロいる可能性があるからこそ、精進するし、記事の質をあげて、皆さんの役に立つ記事を提供する気力がわきます。
ですから、存在レベルでは「代わりなんてゴロゴロいる」と思っていながら、「いやその中で自分は唯一無二の存在だ」と思うのがいいと思います。
どっちかだけだとバランスが崩れます。
なので、「自分の代わりはいくらでもいる」は半分あってて、半分不正解なのです。
【追記】
「自分の代わりはいくらでもいるんだ」
って私は思うからこそ、いい記事を書くぞってなります。
でも中には、「自分の代わりはいくらでもいるんだ」思ってしまうと、「なんだ・・・他にもいるんだ・・・自分なんて」ってなってしまう人もいます。
たぶん、こういう人は「自分の価値を自分自身で認めてない」ので、他にも価値がある人を見てしまうと、自分否定に走るのではないかな?と思います、
よくTwitterで見かけます。
ポイント
つまり、結論としては「自分の代わりはいくらでもいる」の前に「自分の価値を自分で認めてあげる」のが大事だということになります。
自分の価値を認めるには、ノートに自分の長所を30個くらい書いてみることです。