でもでもだってという人っていますよね。
こちらがアドバイスをしても「でも・・」「だって・・・」と言い訳ばかりしてくる人たちのことです。
「でもだって」という直接的な言葉を使わなくても、あなたが「ん?否定ばかりで先に進まないな」と感じるのであれば、相手は「でもでもだっての人」になります。
- 何をいっても頑固に自分の意見をいって反論してくる
- でも、だってばかり言う
- 本人は真剣に悩んでいそうだ
こういう人は「相談や質問にみせかけた愚痴」をいってくることもあります。
ですから、はっきりいしまうと、真面目に悩みを一緒に考えてあげる必要はないんですね。
だったら、私は「これからいうことって、アドバイスしても否定するつもりだから。聞いてくれるだけでいいよ」と言えばいいのにと思います。
そうすれば、考えなくてもいいので気楽じゃないですか。
これも人間関係は持ちつもたれつなので、お互いに言い合っているのであればある程度は許容範囲化とは思いますけど。
時間とられたあげく、思考も使って考えるエネルギーを割いたあげく「でも私は○○だからできない」「だってそれは○○だからムリ!!」とか否定されたら、うんざりです。
それを「クソバイス」とか言うひとすらいます。
「自分の期待にそったアドバイス」をいわないとこき下ろす人です。
ということで、今回の記事では「でもだって」という人はいったいなぜそうなるのか?を考えてみたいと思います。
あなたの周りの「でもでもだってちゃん」がうざい!
でもでもだってちゃんに、ネットの反応はどうなのでしょうか?
知恵袋・ママスタセレクトから紹介してみます。
「でもでもだって」と返されて、自分のしていることはムダかなと思うよね。それでも相手が相談するのは、投稿者さんが受け止めてくれて安心するからなんだと思う。ただ、相談する方は嫌気が差すよね・・・・」
(ママスタセレクトより引用)
どうやら、でもでもだってちゃんは無意識に「相手を選んでいっている」模様です。
これは、その通りでしょう。
「えー何それ(笑)」とか、真剣に受け止めない人や「親身になってくれなさそう」な相手は避けるでしょう。
愚痴をいっても受け入れてくれそうな相手、つまり聞き上手な人を無意識に選んでいるのかもしれませんね。
自分が病みそうだから、私ならフェードアウト一択
(ママスタセレクトより引用)
わかります。
問題解決法を示しても「マイナス方向」に受け取られて反論されたら、負のオーラに巻き込まれそうです。
私もTwitterで、育児の悩みに「こうしてみてはいかがでしょうか?」と書いたら「傷つきました」って言われたことがあります。(笑)
意味わかりませんでした。
スルーならわかりますけど。
なぜかというと、「こうしてみては?」の内容を「実践できていない自分が責められているように感じるから」だそうです。
どうやら、「でもでもだって」という人は、とても傷つきやすい人といえるのかもしれません。
この仮説をもう少し、詳しく解説してみたいと思います。
でもでもだってちゃんの心理って?
でもでもだってちゃんの心理は「傷つきやすい」という仮説をたてました。
基本的に、愚痴・不平不満というのは「行動してない人」が発する言葉です。
愚痴を言う人は、行動もしないで文句ばかりいうので、周りから「行動する人」は去っていきます。
ポイント
愚痴ってばかりの人=問題解決できない私ですよ~と公言している。
私は、愚痴=問題解決能力がないということなのは分析済みでした。
私まいぴは、「アドバイス」を「でもだって」言ったことはほぼないと思います。
長い人生の中では、あるかもしれませんが、記憶にないくらい馴染みがありません。
私の場合、アドバイスをするかしないか?はさておき、「こうしたら?」と言われたら、その人の前では、どう考えても「なるほど」「そうだよね」と、受け入れておきます。
その人が、私のために考えてくれたその人なりの「考え」なので否定する選択肢がそもそもないです。
相手だって、「うん、といったからには、絶対に私がいった通りに実行しなさいよ!」と思ってアドバイス言っているわけじゃないと思うんですよ。
ときどき、「今度、やってみます!!」といった言葉をうのみにして、「どうですか?やってますか?」ってアドバイスの進捗を求めてくる人がいました。
(市役所の人です)
私はこれが本当に嫌いでして、「やる・やらない」のって私の自由じゃないですか。
相手も好きなアドバイスを自由に言ってるんだから、聞く側も「それをやる・やらない」のも自由なんです。
・・・って私は考えるのですが、このへんは個人差がありますからね。
もしかしたら「嘘をつきたくない人」は、「でもだって」になりやすいのかもです。
「言われた通りに実行しなければならない」と思っているから、できそうにないアドバイスに過敏に反論してしまうのかもしれません。
それを踏まえて詳しく解説していきます。
①できない言い訳で自分を守っている
愚痴に対しての「解決策・アドバイス」に何をいっても「でも」「だって」と言ってくる人は、そもそも解決するつもりがないのかもしれません。
現状に不満や愚痴があることにはある。
でも、それを「どうしたら変わるのか?」あるいは「自分は何をしたらいいのか?」という問題解決的な視点で考えてるわけじゃないのかもしれないのです。
要するに、現状維持を望んでいて「愚痴をいってたい」と無意識に思っているということです。
これは口では「愚痴や悩み」という相談のていをとっているために「変えたいんだろうな」と思ってしまうということがあります。
しかし、本人の中では「変わりようのないこと=どうしようもないことを愚痴っている」と考えるのが自然でしょう。
あるいは「現状打破のほうほうがわからない=無いと思っている」と思われます。
人は「自分自身では変わらないと思っていることは愚痴りたくなる」からです。
つまり愚痴が多い人は「自分ではどうしようもないと思っていること」ということになります。
しかし、自分では「どうしようもないと思っていること」も愚痴として吐き出すことで
第三者が聞いたときに「どうしようもないわけではないこと=愚痴を聞いた人はどうにかできそうだ」とずれが発生します。
このズレこそ「現状を打ち破るエネルギー」になります。
しかし、現状維持のエネルギーが強かったりすると「でもでもだって」ちゃんは、アドバイスに反発するという姿勢をとります。
②言い訳するのは「失敗するのが怖いから」
「でもでもだって」という人は、失敗するのが怖いからということもあります。
つまり、アドバイス通り実行してみた責任を自分でとれるだけの器や信頼を自分に感じていないということです。
これは「アドバイスした人を信頼していない」のではなくて、そのアドバイスを信じる自分を信頼して責任がとれないということです。
つまり「私がその通りにやってうまくいかなかったらどうしてくれるんですか?責任とってくれるんですか?!」とか言ってくるような人です。
誰も、私のアドバイス通りにやれ!!なんて思ってないんですよね、
それを無責任だ!!というのではなくて、自分で「そのアドバイスを実行した責任」を持つのが正しい在り方なのです。
つまり「失敗」を受け入れるだけの器がないと、アドバイスをそもそも聞き入れることができないということになります。
人生で、習い事を何もしてきてない人は「教わる姿勢」がわからないことがあります。
習い事とは、内容を教わるのではないのです。
習うことを教わるのです。
基本的に、習うとは、失敗の連続になりますので、「習い事をしたことがない人」は失敗する責任を自分でとれなくなる可能性があります。
このへんも素地があるので、一朝一夕には変えられない気がします。
③失敗に耐えられるだけのメンタルがない(失敗に傷つく)
失敗するのが怖いので、アドバイスを聞き入れられない。
なぜならば「失敗したときの責任を負うだけの器がないから」と分析しました。
次はなぜ「器がないのか?」ですが、これは単に「失敗」を失敗と捉えているからです。
失敗と成功はひとつながりですから、失敗の先に成功があるのです。
しかし成功するまでに辞めてしまった人。
あるいは「失敗の記憶」が辛い感情となっている場合は「怖れ」が出てきてしまいます。
④アドバイスされたら「絶対にそれをしなきゃいけないと思ってる」
アドバイスされたら、それを「やらなければならない」と思ってしまっている場合も「でも~できない」「だって~できない」と言いやすくなるかもしれません。
私はこの感覚がないので、わからないのですが、たぶん真面目なのだと思います。
私も真面目だと言われますが、「LINE読んだら必ず返信する」「アドバイスされたら必ず実行する」と思っていません。
その点では、真面目すぎるというわけではないのかもしれません。
というか、こっちが世間の一般だと思うんですよね。
私は、折り返しの電話すらそんなにかけません。
電話の確認していない着信は37件、読んでないメールは4153件、Gメールに関しては12182件が未読です。
SMSは95件が未読。
LINEは2802件が未読です。
留守電は37件が聞いてません。
(うち学校からのものが2件ありました。もう時期が過ぎてるので聞かない。)
本当にすごい用事があったら、あとでまたかかってくるだろうって思うからです。
むしろ、LINEに関しては「読む・読まない」すら当人の自由だと思っています。
「次はこれをします」といったからといって、必ずそれをしなければ不誠実ということでもありません。
ですから、アドバイスされて「いいですね、やってみます!!」っていったとしても、やってなくて当たり前なのだから、やらなくてもマイナスにはならないのです。
しかし「でも・だって」という人はもしかすると、この逆で「アドバイスされたことはしなければならない」と思っているのかもしれないんですね。
そう考えると、自信などの問題ではなくて「そもそもアドバイスは本当にできないので反論している」という可能性もあります。
その場合は、本人の価値観になってくるので、難しいかもしれません。
でもでもだってちゃんへの【対処法】
「でもでもだってちゃん」の対処法は3つあります。
- 距離をおく
- 適当に聞く
- 断る
まず、前述したように「でもでもだって」の人は自分で人生を切り開いていくという主体性がありません。
あと責任感の器もないわけです。
このような性格を他人のあなたがいきなり変えることは難しいです。
よって、当たりさわりのない程度に「距離をとる」のが望ましいと思います。
あるいは「適当に聞いておく」のもひとつです。
もし、ずっと同じ愚痴ばかり何度も繰り返すようであれば「この間もきいたよ」「この間も話した話ですよね」といってみましょう。
まとめ
でもでもだってちゃんは、意識的にせよ無意識的にせよ「聞いてほしい」「わかってほしい」という気持ちが強いです。
ですから、そもそも論としてアドバイスは求めていないのですね。
ただの愚痴のゴミ箱になっていることもありますので、できるだけ距離を置くのが正解です。
あなたの時間は有限です。
その時間を解決もしない愚痴につきあうくらいならば、もっと時間対効果の高い選択をすべきでしょう。