世の中、なんでこんなに不公平なんだろう・・・と思ったことはありますか?
- 親の経済力や家庭環境の格差
- 顔・能力・スタイル格差
- 病気や障害がある
不公平や不平等感の悩みは、たいていこの3つの中のどれか?に当てはまると思います。
親が、お金持ちならば、ちょっと容姿が悪くても才能がなくても、教育にお金かけてもらえる。
で、なんとなくいい学校出る。
いい企業に入って、そこそこ幸せになるという「人生イージーーモード」デフォが設定されているからです。
あるいは、若いときなばらイケメン・美人への不公平感ですよね。
さらには格差ではないものへの不平等・不公平感もあります。
「当たり前にみんなが持っているものがない」ということです。
それは、障害や病気やハンディキャップとなるものですね。
結論からいうと、人生は不公平なのです。
しかし、不公平を受け入れた人ほど、わりと幸せに生きていけます。
詳しく解説していきます。
さらに詳しい解説は【ない世界】と不公平の関係性って?何で起きるの?【公正世界仮説】で解説しています。
人生って不公平なのは当たり前。
しょせん「元から苦労知らずで恵まれている人だけ」でしょ?
いいえ、そんなことはありません。
「恵まれているか?」という質問に限れば、私は恵まれていると思っています。
でも、それは私が自分の持っているものにだけ、目を向けるようになれたからです。
ちなみに私の人生はこんな感じです。
- 身長が170センチ(1~2%)
- 母子家庭で育つ (123万世帯=1%くらい)
- パニック障害になる (1.5~5%)
- 発達障害グレー(10%くらい)
- 子どもに障害がある (なんらかの障害者割合=7.4%)
- 親が生活保護 (1.6%)
みてください。
多くの要素が、「少数派」に属しています。
しかも「どちからというとプラス面の少数派」ではありません。
あったら一般的には大変になるであろう要素の少数派に属しています。
でも、私自身は昔と変わってないのですがそこそこ幸せです。
なんでかっていうと、自分自身は昔と変わっていませんが、視点を昔とは変えたからです。
不公平感は「持ってないもの」を数えると出てくる。
そもそもなぜ不公平っていう感情が出てくるのでしょうか?
不公平の感情は、「本来、自分も持っているはずの権利。持っているはずのものがない。」という感覚なのですね。
つまり「自分にもそれを手に入れれたであろう想い」があるんです。
さらに、不公平や不平等な気持ちというのは、感じるための条件があります。
それは「他人を見ているとき」です。
不公平のポイント
- 自分を見ていないと起きる
- 自分には持っていないものを見ている
この2つによって起きてくる感情です。
ざっくり適当にいうと「他人の持っているものを見ている」と起きます。
そして「どうしてあいつは持っているのに自分にはないんだ」ってなるのです。
その根底にあるのはなにかっていうと、これは「今の自分自身や人生を受け入れられない想い」なんですね。
自分も手に入れてるはずなのに!!という妬みや執着と近いエネルギーや波動が出ます。
波動が下がっていくと、人が離れていくのでなるべく不公平な感情を長く感じないようにしましょう。
自分にはないということ、自分にはその資格がないこと、自分の置かれている環境にはそれが実現できないこと・・・
これらを受け入れられないので、世の中への憎しみや敵意になってしまうのです。
それが不公平感です。
体験談「不公平感」は「ないものを見ている」
私は障害のある子(自閉症)の母親なので、わかるし言うことができるのですが
自閉症の子を持つ母親は「定型発達の子(健常者)」をみて。
妬んだり羨ましかったりする負のエネルギーに苦しむ方、そういう時期が多かれ少なかれあったりします。
そうなるのはなぜかというと、「受け容れられない」からなのです。
受け入れ力は、マインドフルネス瞑想などで鍛えることができます。
自分の子どもには「ある(はずだった)ものがない」ということを受け入れられないのです。
このとき、障害を持つ子の母親は「現実認識をしっかりとしている」と思っています。
例えると「かめ」が「タカ(鳥)」を見て「どうして空をとべるんだ!!練習しても僕は飛べないのに!!ずるい。不公平だ!!」みたいな感じ。
「自分がかめであること」が、見えてないのです。
かめであることを受け入れてないので、かめは空を飛べないということが受け入れられないのです。
他の人が「所有していること・持っているもの・環境などなど」を持ってない。
つまり「本来はあるはずのものや権利が与えられていない感=不公平感」を持ちます。
「私には定型の親と同じようにこれができない。あれができない」「子どもは(以下略)」
こんな感じです。
これはどういうことか?といいますと、「前提の認知」が受け入れる邪魔をしているんですね。
前提の認知とは、私が勝手に呼んでいるものです。
名前がわからないので、世の中に私の知っている概念をあらわす心理学用語があるかもしれないです。
私は知識を得て、ブログを書いているのではありません。
自分の中の感覚を分析してその感覚を「呼び名」をつけて区別していますから
勝手に私が区別のためにつけた名前なのです。
話がとびました。
不公平感は、「本来、自分にも与えられたであろうものが手に入らないと知ったときの抵抗」と言い換えることができます。
「不公平感」を作ってしまう前提認知って?
この「本来、私にも手に入るはずだったもの」という認知が前提となります。
その前提とされる認知が、現実を受け入れまいと不適応を起こしています。
この表現も「不適応」が妥当です。
なぜならば「ある自分の思いこんでいる認知(=前提認知)」というのは、無意識なんです。
ですから、無意識というのは、そのかなりですね。
エネルギーとしては大きくなりますから、「強い思い込み」ということになります。
強い思い込みというのは、「信念」になるので、顕在意識よりも認識しずらく、そして大きな影響を与えています。
例えばこのようなものです。
- 自分は悪いことをせず、人のために生きてきたのに、なぜ障害児が生まれる(★ここは不公平を感じるできごとが入ります)のか?
- 自分は努力してきたのに、なぜそれ相応の対価がないのか?
(あの人は楽しててずるい!!不公平だ) - あの人は、自分の好きなことをして母親らしくないのに、なぜ子どもは私の子どもよりも出来がいいのか?
わかりますか?
このような考え方が「信念」を見つけるための手がかりとなります。
私は自分が経験したことのある感情ならば、その構成要素や、認知がどのように結びついているのか?
知っています。
これは感覚なので、自分が「経験したことのある感情」ならば、作用機構や要素まで、たいていは見ることが可能です。
でも知らないものは感覚を経験していませんから、書くことができません。
それはさておき。
この上記の手がかりからは、「不公平感を作る(つまりないものを無いと受け入れるのを拒む)」ための前提認知が、見えてきます。
- 自分は悪いことをせず、人のために生きてきたのに、なぜ障害児が生まれる(★ここは不公平を感じるできごとが入ります)のか?
→不公平だ!! - 自分は努力してきたのに、なぜそれ相応の対価がないのか?
→不公平だ!! - あの人は、自分の好きなことをして母親らしくないのに、なぜ子どもは私の子どもよりも出来がいいのか?
→不公平だ!!
この言語(=自動思考)の中にある、思い込みを抽出していきます。
- いい人間は幸せになる、悪い人間は不幸になるもの
- 努力したら成果が出る(=成果が出ない人は努力が足りない)
- 母親の評価=子どもの評価である
できのいい子の親はできがいい
こんな感じですかね。
これが「不公平感」の根っこである「受け容れるのを邪魔している」のです。
なぜならば受け入れて認めてしまうと「自分を悪い」と認めたり、「自分は努力していない」と認めたりすることになって苦しいし、おかしなことになってしまうのです。
やってみましょう。
「不幸が起きてることを受け入れる →=自分は悪い人間(受け入れられない)」
「成果が出ないことを認める(受け入れる)=努力してない自分(受け入れられない)」
「相手がいい母親と認める(受け入れる)=自分はだめな母親(受け入れられない!)」
3つ目だけ、少し違っていますね。
この場合は、すでに受け入れられてないので、他人へのあらさがしをして、自分がダメな親じゃないことを正当化しようとします。
前者2つは、前提認知(=信念)が不適応なので、「自分は悪い」「自分は怠けものだ」と受け入れられないのです。
無意識で起きると、「他人に転化」することや、さまざまな精神症状があらわれます。
この場合は、認知を変えることで「不公平感」を減らす考え方を身に着けることができます。
ここでは認知の変えかたは個別ですし、他の思い込み要素とくっついていることもあるので、書けません。
受け入れるために邪魔するもの
不公平だと受け入れてしまうと、先程のように自分にとって不都合なことが起きるので、世の中って公平だと思っていたいのですね。
この思いたい維持によって、「世の中に敵意や憎しみ」とともに「不公平感」(悪い・ずるい)がむくことがあります。
不都合な真実とは以下のようなものです。
- 努力しても報われないことはある
- 努力しても意味ないこともある
- 他人にいいことをしても利用されるだけのこともある
- 世の中の役にたっても、何も起きないこともある
- 悪い人や人徳の無い人が幸せに生きていることもある
- 素晴らしい人格があっても不幸な人もいる
まあ、こんな感じです。
これらを受け入れるわけにはいかないと思い込んでいるのです。
「えーー?こんな世界が真実の世界だって?」
「頑張った人が幸せになれるんでしょ?」
「他人のためにいいことをしている人が最後には勝つんでしょう?」
そんなことはないです。
一見、なんといいましょうか。
平和な世界観を保ちたいじゃないですか。
悪は必ず滅びるし、正義が勝つんだみたいな。
でも、そういうことはなくて。
バッタバタ、人は不条理に戦争や災害で無慈悲に死んでいきます。
そんな世界はいやなのはわかります、
しかし、それを受け入れられなければずっと「世の中=ひどいところ」「世の中=不公平なはずない」みたいな世界観になってしまうのです。
受け入れるとき、かなりの傷みを伴います。
「敵意と憎しみに満ちた世界を受けいれるだって?そんなこと怖くできない」と思うことでしょう。
なぜならば、その世界は「敵意と憎しみと不条理と不公平感のある世界」なのですから。
でも、これをいったん受け入れてみてください。
実は「不公平な世界」を受け入れるとですね。
「あるもの」に目が向くように変わっていきます。
不公平とは「本来、自分も持っているはずの権利。持っているはずのものがない。」感でしたね?
ない世界を受け入れたら?
受け容れられないですよね
信じていたものがない世界なんて。
でも、ないことを受け入れると、プラスに変るのです。
無いものを受け入れると、あるというのが見えてくるんです!!
これは「幻想のない(=他人は持ってる)」ではなくて、しっかりと見える「在る」ものです。
不公平な世の中を受け入れると、自分が持っているものが輝き出すのです。
これは障害のある子を受け入れるときの不公平感にも役立ちます。
子供にないものを認めてはじめて、あるものが見えてきます。
不公平を受けれてない人
他人の持っているものをみて、自分の無さに気づくような視点の持ち方。
不公平を受け入れている人
他人の持っているものを見る。自分の持っているものを見る。
なんでしょう。
若干ですが、不公平で辛いという方(受け入れていない)人は、自分は自分、他人は他人という感覚がちょと弱めです。
みんな同じ感が強いと、公平感の度合いに影響してきます。
なぜならば「あの子が持っているんだから、私も持ってて然るべき!!」ってなるからです。
自他が弱いと「ずるい」という気持ちも強くなりがちなのかもです。
女性と男性の不公平感も「違いが弱まっていると起きる」
ここまで記事を書きながら、確信しました。
「みんな同じはずなのに」という意識があると、不公平感を強く抱くのですね。
例えば「男性も家事をしてほしい」とか「女性の給料を男性に近づける」だとか。
これはこれで全うなのですが「男女って同じでしょ」が行き過ぎても弊害があると思います。
やっぱり性別差によって役割もちょっと変わってきますし、あまりにも「同じ」が強くなってしまうと「私がやってるんだからあなたも同じだけやってよ!!」ってなりかねません。
ポイント
自分と他人の違いをしっかりと認識して、尊重する。
自分は自分ってすることで、不公平感は消えていくはずです。
あとは「不公平な世の中」を受け入れることですね。
まとめ
ちょっと疲れたのであとでかきます。
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