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可能性は無限大は嘘?【存在論と確率論を混ぜないで】~余白を作れば可能性が見えてくる~

2023年3月2日

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可能性は無限大という言葉を聞いたことがありますか?

 

なんとな~く意味はわかるけど、説明しろって言われたらちょっと難しいですよね。

それは「可能性は無限大」という言葉が、非常に抽象度の高い言葉であるからです。

 

解釈の可能性が高い(無限大)ということになりますね(笑)

 

  • 可能性は無限大の意味って?
  • 可能性じたいは「存在論」
  • 実現可能性は「確率論」

 

この記事では、「可能性」という意味について解説します。

この記事を読むと、「どうやって自分や他人の可能性に気づけばいいかわかる」ので、あなたの未来や能力・他人の可能性などを見つけることが簡単にできるようになります。

 

可能性に気づけるということは、仕事や人生においてラッキーチャンスをつかめるようになるというメリットが見込めますよ。

ではいってみましょう!



可能性は無限大ってどういう意味?

可能性は無限大というのはどういう意味なのでしょうか?

答えは「可能性」にはさまざまな選択肢が広がっているということです。

 

物事が実現できる見込み。それが可能だという性質・度合い。潜在的な発展性。1つの意味をあわせて可能性は無限大は、①「物事が実現できる見込みは限りなく大きい」「②発展性は限りなく大きい」という意味になります。

(引用元:学びTimesより 注意:説明の区別のために①と②をまいぴが入れました)

 

まいぴ
確かに、可能性がないというと0パーセントだもんね。

 

一般的に入れている可能性は「①実現できる見込みの可能性(確率)」のことと「②発展性の可能性のありなし(存在論)」が混同しているように思います。

 

可能性は2種類ある

  • 可能性(発展できる見込み=存在論
  • 可能性の可能性(実現できる見込み=確率論

 

この2つを区別しないで、どちらかで論じている人が多いように思います。

 

区別しないと「可能性はないよ(宝くじなどほぼ当たらない=確率)」って言っている人と「いやいや買ったら可能性はあるよ(宝くじが持つ可能性=存在論)の人が、それぞれ可能性についての理解がすれ違っているので平行線になります。

 

これを2つの視点から説明していきますね。

可能性の可能性は「実現できる見込み」=確率論【左脳的な視点】

まず、可能性の2種類の1つ目は「実現可能性」になります。

これは、可能性の中で「それがどれくらいの確率で起きるか?」の視点で見ている場合の可能性になります。

この場合、計算などが必要になってくるために「左脳的な脳の使い方」になっています。

 

(例)

  • 航空機の事故の可能性=0.0009%
  • 宝くじ当たる可能性=0・0001%
  • 自動車事故にあう可能性=0.2%

 

これは確率なのですが、わかりやすく「可能性」とおきかえています。

 

この場合、どういうことになるかといいますと「可能性はあるけどきわめて低い」ということになりますね。

この「極めて低い」を「可能性はあるよ!!」って見ている人もいるわけです。

 

「宝くじに当たる」という人は「宝くじには可能性が無限大にある」と信じていますし、「飛行機事故に当たる」という人は、「飛行機事故に遭う確率は無限大」だと信じています。(存在論においての可能性)

 

 

実は、宝くじや飛行機事故の可能性を見ている人というのは、「本来、左脳的に捉えなければいけないものを無限大に右脳的に捉えてしまっている」ということになります。

 

しかし、本来は右脳から入って「宝くじが当たる可能性がある」「飛行機事故に当たる可能性はある」と思っても、左脳的に「確率的に低いだろうな」と冷静に見ることができます。

 

右脳視点で見て、右脳で考える(左脳が弱い)場合、「宝くじは買えばいつか当たるかもしれない」「買わなきゃ当たらないよね!!」などと信じられないくらいの実現可能性を信じてしまいます。

 

これはどちらかというと数学が苦手だったり前頭前野の推測が弱くなっていたり、白黒思考などの要因で強まってしまいます。

上の要素は「評価関数」みたいな感じです。

 

まいぴ
だから、(無限大で)当たる気がするし、飛行機事故も(無限大で)当たってしまう気がするのですね。

 

左脳的に「実現可能性」をシビアに見ていたらいいのでしょうか?

そうとも限らないのですね。

 

確率論(左脳)だけで可能性を見てしまっても問題があります。

数値化や左脳的な思考が強まってしまって実現可能性だけを切り出してしまった場合、そこに感情が入ってくると厄介になります。

 

例えば左脳優位すぎますと、発達障害の子が生まれて「可能性を信じること」ができにくくなります。

他にも、「生き残る可能性がある(でも少ない)」ときにほとんど生きる希望がないと判断します。

 

ポイント

この可能性の見方は「絞り込む」ことで可能性をあげていくという効果があります。

 

何いっているのかわかりにくいかもしれませんが、ついてきてください。

 

右脳は「拡散」なので、無限大に可能性を見ていくことになります。

しかし、それだけだと「宝くじ買ったら当たる(可能性ある)よね!飛行機に乗ったら事故にあうよね!!」となってしまう。

 

まいぴ
つまり世の中「すべて可能性に満ち溢れている(無限大)」になってしまう。

 

これだと、実は「可能性としてはゼロ」になります。

 

空間をイメージしていただけるとわかると思いますが「存在できる可能性は無限大」ですよね?

そうですね。

 

「収納のスペースを空ける」としましょう。

その空間には「何を置くか?何がやってくるのか?」可能性がありますよね?

 

新しい入学式の空いている席のようなもの。

 

しかし、それって「教室」で区切られている、「棚」で区切られているから「可能性がある」ことがわかりますか?

これをしているのが「左脳」です。

 

「空間という無限の可能性がすべてにおいて適用されてしまうと可能性が区切られていない」のです。

つまりここで「可能性の(空間=右脳)×可能性(教室の席)」のように「可能性の可能性」と区切ってあげることで「空席に誰かが座れる可能性」を絞りこめるということ。

 

つまり、「絞りこむことで可能性を作る」のが左脳的な可能性の視点なのですね。

 

まいぴ
ちなみに、もうお分かりかと思いますが、右脳的な可能性は絞り込まないことで可能性を広げるという視点です。

 

実現可能性

  • 実現する見込みとしての可能性=左脳的である、現実的である、選択肢としては「絞り込み」の要素。



可能性単体は「存在の可能性」=存在論【右脳的な視点】

可能性の種類の2つ目は、「可能性単体」としての可能性です。

これは「シンプルにそのまま見た場合」の可能性です。

 

少しでも可能性があれば、可能性ありと判断します。

存在論的な可能性なので。

 

右脳の存在論では「信じること」で存在を認識することができるようになるのですが、信じることで可能性が見えるようになるということです。

右脳は「数値化」することや「計算」などは得意ではありません。

 

ですから「可能性のありなし」ということで、「あるか?ないか?」だけを判断するという非常に感覚的な直感のような感じになります。

しかし、この「可能性を見る視点」を使うことで「在る世界」に住むことができます。

 

右脳的な「存在の可能性」の場合は以下のような感じになります。

  • 株や会社が大きく伸びる可能性を感じる
  • 面接で潜在的に可能性を感じる
  • 自分の可能性を信じる

 

この場合の可能性は、ざっくりとした未来志向です。

例えば、学校での子どもたちの元気な声が校庭を通して道まで聞こえてきたとしましょう。

 

それを感じたときに、将来、日本の未来が広がっていて活躍しているキラキラした感覚を覚えることでしょう。

こんな感覚です。

 

赤ちゃんんでも子どもでもいいですし、若者でもいいですね。

まいぴ
私の実体験ですが、この場合は「若さ」の可能性にワクワクしているんです。

 

なろうと思えば、なんにでもなれる。

子どもたちの活気を見ていると、なんでもできそうな気がしてワクワクしてくるんですよね。

 

こちらは左脳と違って、可能性は無限大でして、数値化できない可能性を示しています。

これは、絞り込まないので可能性としての性質は拡散になります。

 

存在の可能性

  • 存在の可能性=右脳的である、非現実である(実現検討の有無なし)選択肢としては「拡散」することで可能性が広がる。

 

可能性の信じ方【どっちも使おう!】

つまりどっちも使ってね!!ってことです。

一言でいいますと、一般には「存在的な可能性」を鍛えたほうがいいと思います。

 

しかし、大事なのは人よって「存在可能性」と「実現可能性」のどちらを見やすいか?が違うということ。

低いほうを鍛えるようにしましょう。

 

 

まいぴ
どっちかだけでもバランスが悪いです。

ちなみに私、まいぴは「頭で考えすぎてしまう」癖があります。

 

思考というのは、よく間違います。

それに何度も思考していると「パターンA、B、C・・・」というように、いくらでも論理展開を変えることで「着地点」が変わるのです。

私は何度も書き直したことがあるくらいです。

 

ですから、「感覚(インプット)×(論理でアウトプット)」が最強です。

私の場合はですが。

 

インプットが論理の時があるのですが、それってめちゃくちゃきついんですよ。

「納得できるまで、ロジックがつながる迷路を必死で泣きながら解いている」ということになるのです。

意味がわからないかもしれませんが。

 

だから論理で話してくる人は苦手ですね。

元々、私は感覚的なものも強いからですね。(笑)

 

まとめ

疲れたのでちょっとお待ちください。

 

 

 

 

 

 

 

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  • この記事を書いた人

まいぴ

はじめまして。まいぴです。 アラフォー元大企業研究開発職。 お金・恋愛・仕事(成功)の人生3大お悩みについて情報発信をしています。一度きりの人生でしたいことをできるようになりたい人のための「マインドセットから具体的な方法」までをナビゲーションするサイトです。

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